2025/04/10 09:37
こんにちは、バイヤーのエイミです。こちらの記事は、ティファニー財団の物語 前編2の続きとなります。
苦難の時代
ティファニーは初めから、ローレルトン・ホールを運営する費用が切迫することを予想していました。彼の妹ルイーズは1922年に財団に7000ドルを提供し、翌年にはさらに10000ドルを寄付し、ティファニー自身もその金額を寄付しました。
雪の重みでテラスが崩壊し、それに加えて法律顧問への多額の報酬が財団の財政を危機にさらしました。
さらに、今となっては不気味な先見の明のように、ティファニーはローレルトン・ホールでの火災の可能性について厳しく懸念しており、初期の理事会の議事録からは、ローレルトン・ホールの建物や敷地内の火災対策や、不動産の火災保険に関して多くの議論が交わされたことが示されています。ティファニーが生存している間は、どんなに財政的に困難な時でも、財団とその居住プログラムを運営し続けるために、金銭や財産を定期的に寄付し、活動が継続できるよう努めました。
このようにしてティファニーは16年間、ローレルトン・ホールを支え続けました。
しかし、1930年代と1940年代は財団にとって困難な年が続きました。ルイス・コンフォート・ティファニーは1933年1月に亡くなり、財団の理事会は元の活力を失い、大きな喪失感を感じていました。その後すぐに、大恐慌とローレルトン・ホールでの数々の煩雑な保守問題が、財団の財政状況をさらに危うくしました。
館と庭園は常に維持が必要であり、財団の基金は運営し続けるために頻繁に使われなければなりませんでした。状況は更に悪化します。真珠湾攻撃の後、そしてアメリカ合衆国が第二次世界大戦に参戦すると、国全体が市民意識を高め、戦争努力を支援するために日常生活の犠牲を払うようになる中、ティファニー財団もその使命を同様に変化していきます。
多くの人々が便利さだけでなく必需品も自ら放棄している時に、「退避」の経験を提供することは不適切であり、場合によっては贅沢であるとされました。当時のローレルトン・ホールの学生活動ディレクターであるヘンリー・ホバート・ニコルズは、米海軍に接触して、戦争の準備と活動のためにその土地が役立つかどうかを確認しました。1942年8月1日、海軍と財団はローレルトン・ホールを軍に提供する契約を締結し、その後3年間、迷彩技術の開発のために使用されました。
戦争が1945年に終結し、海軍がローレルトン・ホールの土地から撤退した後、ティファニー財団の管理者たちはどのように事業を継続するかという難問に直面しました。不動産を維持する困難さは決して変わることはなく、財団の基金は、運営を維持するために使われる危険にさらされていました。翌年の9月、ニューヨークタイムズは報じました。
”1919年に故ルイス・C・ティファニーによって設立されたルイス・コンフォート・ティファニー財団は、アーティストや職人のために設立され、彼の住居であるロングアイランド、コールドスプリングハーバーのローレルトン・ホールに置かれていましたが、再編成されることとなりました。芸術作品、財産、家具が競売にかけられ、巨大な家と60エーカーの土地の大部分が売却されます。”
困難な決断が下されました。理事会はローレルトン・ホールの居住プログラムを閉鎖し、財団の基金を賄うために不動産を売却し、財団の活動理念を見直し、新進アーティストを支援する他の方法を模索することにしました。発表後、事態は急速に動きました。1946年から1949年の間に、ティファニー財団の資産は競売や不動産の分割によって売却されました。ルイス・コンフォート・ティファニーの最高傑作である壮大な84室の家は、わずか1万ドルで購入されました。売却された最後の物件は馬車小屋の寮で、多くの才能あるアーティストが居住プログラムの新しい概念を初めて体験した場所、ティファニーの壮大な実験の心臓部でした。建物としてはではなく、存在としての”ローレルトン・ホール”は、この時点でなくなったのです。
-続く
引用
BrooklynRails Artonic April 2019 The Louis Comfort Tiffany Foundation
In the nexus of the art world, foundations are often perceived as mysterious nebulas.
Mark Rosenthal, “Artists Extending Their Reach,” Brooklyn Rail (December 2018-January 2019)
Letter from Dorothy Tiffany Burlingham to Robert Koch, dated 1965. Quoted in Koch, Richard Louis C. Tiffany: Rebel in Glass, Updated Third Edition (New York: Crown Publishers, Inc., 1982)
John Kimberly Mumford, “The Year at the Tiffany Foundation,” Arts & Decoration (Vol. 14, February 1921)
“Tiffany Property to Go at Auction,” New York Times, September, 8, 1946. The article misstated the Foundation’s date of establishment. The Louis Comfort Tiffany Foundation was incorporated on July 30, 1918.
Shortly after the fire, collectors Hugh and Jeanette McKean salvaged and purchased many of the furnishings, windows, and other artifacts that survived. Most of these are now housed in the collection of the Charles Hosmer Morse Museum. A four-column loggia from the house is also in the collection of the Metropolitan Museum of Art, New York.
Louis Comfort Tiffany Foundation Mission Statement