Blog

2025/01/20 14:27

こんにちは、バイヤーのエイミです。今回は、ティファニー氏を語る上で絶対に避けて通れない、ローレルトンホールについてお話していきます。

ティファニーの壮大な邸宅、ローレルトン・ホールの魅力と悲劇

ティファニーの夢の実現: ローレルトン・ホールの創造

1902年、ルイス・コンフォート・ティファニーはニューヨークのオイスターベイ近郊にローレルトン・ホールと呼ばれる壮大なカントリーエステートの建設を開始しました。かつてのホテル・ローレルトンの土地を利用し、ティファニーは84室の豪華な家を建て、広大な温室や厩舎を含む、東京ドーム5個分に相当する、60エーカーに及ぶ緻密に設計された庭園を造り上げました。

建築とデザインの革新

ローレルトン・ホールは、その時代の他の裕福なアメリカ人が好んだヨーロッパ風の建築スタイルとは一線を画し、アジアや中東の影響を受けたデザインで構成されていました。建物はモダンなシルエットを特徴とし、シンプルだが洗練された形に豊かな装飾が施されていました。特にガラスモザイクや彫刻された木材が用いられ、ティファニー特有の芸術的センスが表現されています。

アーティスト達の理想郷

内装には、ティファニーが世界中から集めたり、自身のスタジオで制作したりした数千点に及ぶ美術品や家具が飾られていました。これらの中には、彼の技術的な能力を示す芸術作品も多数含まれ、例えば「四季」の窓などがその一例です。これらの作品に触れながら、「フェロー」と呼ばれるティファニーの呼びかけに応えたアーティスト達が集い、日常から離れる「退避場所」として時間を過ごしたと言われています。

ローレルトン・ホールの悲劇と遺産

しかしながら、「退避場所」としての存在意義は、時代によって変更を余儀なくされます。1390年以降、第二次世界大戦の影響でアメリカ国民が日常生活に犠牲を払い、便利さだけでなく生活必需品すら手放さなければならない状況下で、「退避」を提供する場所は社会的に不適切であったり、贅沢だと考えられるようになりました。そこから、ローレルトンホールは海軍に提供されることとなり、3年間、迷彩技術の開発に使用されました。

ティファニーが亡くなった後、ローレルトン・ホールは経済的な困難により売却され、1957年には放置されていた建物が火災で焼失しました。その際、大多数の美術品はオークションにかけられ、これを買い取ったのがヒュー・マッキーンと、ジャネット・マッキーンです。彼らはティファニーの作品に感銘を受け、偉大な美術品が歴史の波の内に消え去ることから救い出しました。のちに、彼らの蒐集品はチャールズホスマーモース美術館に受け継がれ、現代まで守られてきています。


RainCaperティファニースタジオコレクションを販売しているのは、日本では当社のみとなっております!

貴重なコレクションを、是非お手元にとってお楽しみください!

Blogトップへ
Copyright © ALICE 大人可愛いレディースバッグ・リュック・日傘 | ルイスCティファニー氏デザインのアメリカ限定アイテム. All Rights Reserved.